ケーキ屋は閉店後 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-06-27

殺人者の思い出 殺人者の思い出 - ケーキ屋は閉店後 を含むブックマーク

ちょっと最近、思うところあったことを、ばばっと書きます。

このへんとか、

http://d.hatena.ne.jp/MIZ/20060626/p1

このへんの話を読んで、

http://nnri.dip.jp/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=1319

思い出したこと。


ああ、あとこのへんのことを考えるきっかけにもなったことです。

http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20060624/1151111589


十年近く前の、ある曇り空の日。

自転車で十分ほどのショッピングモールで買い物をしていた私は、見知らぬ外国人男性に、声を掛けられました。

最近引っ越してきたばかりで、地域のことが何も判らない。買い物をどこですればいいとか、どんな場所に遊びに行くと楽しいとか、教えて貰えないか」

そんでまあ、私は親切に応対しました。すると彼は嬉しそうな顔をしました。

「自分は日本語はできるのだが、日本人に『ガイジンだ』という理由で敬遠されるので、友人も出来ず、とても寂しかった。あなたは引っ越してから一番親切に対応してくれた日本人だ、本当にありがとう。できればあちらのベンチに座って、少しおしゃべりに付き合って貰えないか」

そしてまあ、私は暇だったし、孤独外国人男性が気の毒に思えたので、ベンチに座り、おしゃべりに付き合いました。


その後。

私が立ち上がってショッピングモールを出ようとすると。

外は土砂降りの雨でした。

呆然と立ち竦んでいる私を見て、外国人男性は気の毒そうな顔をしました。

「自分は車で来ているから、君を家まで送っていってあげるよ」

私が断ると、途端に彼は悲しそうな顔になりました。

「せっかく君とはトモダチになれたと思ったのに、敬遠されずに済むと思ったのに、どうして? ぼくを信じてくれないの?」

押し問答は続き、そのうち私は根負けして、彼の車に乗せられてしまいました。

なんて愚かしい、あの日の私。

本当は車に乗る前から、少しずつ、嫌な予感がしていたのに。

目の前にいる人間の機嫌を損ねたくないばかりに、偏見のない日本人としての良い印象を抱いて欲しかったばかりに、私は生涯でもっとも、分別のない振る舞いをしました。


「何もせず家に送る」という約束はあっさりと破られ、私はそのまま、どこだかわからない、人気のない場所に連れて行かれました。

誰も通りかかることのない細い道の路肩で車はとまり、その頃には世間知らずの田舎モノの私にも、これから何が起こるのかはかなり正確に想像がついていました。

私は男性に気付かれないようにドアのロックを外し、ドアハンドルに手を掛けて、いつでも車の外に飛び出せるようにしていましたが、その一方で、こんな場所で外に逃げ出しても、誰かに助けを求めるわけにもいかず、何の役にも立たないことが判っていました。


それから何が起こったか。


もしも彼が強硬な態度に出れば、結局自分は彼の求めに応じてしまうだろうということを、私は理解していました。

暴力は怖い。力では絶対にかなわない。殺されたくない殺されたくない殺されたくない!

最後には私はおとなしく従うだろう、殺されるよりはそのほうがマシだと思ってしまうから、暴力で思い通りにされるくらいなら、おとなしく言うことをきいてその場をやり過ごすほうがいいと判断してしまうから、ああだけど嫌だ嫌だ、なんて弱い自分、なんて愚かな自分、なんて許し難い自分。そしたらそれは、レイプにすらならない。彼を糾弾する権利を、私は失う。

私は嫌なのに、嫌だと思っているのに、こんなに怖くて嫌な思いをしているのに。

でもここで彼が私を殺すのはとても簡単なこと、そのまま逃げ延びるのも簡単なこと、死ぬのは嫌だ、生きて帰りたい! 死にたくない!!

私はこのひとの慈悲にすがるしかないのだ。なんて惨めな。


せめてノーと言おう。戦うことはできなくても、知恵を振り絞ろう。自分の気持ちを相手に伝えよう。機嫌を損ねないで済む範囲で。


そう考えた私はそのとき、生涯でもっとも懸命に「話し合い」をしました。

頭脳は煙をあげそうなほどのフル回転、目前の相手の感情と思考を読んで読んで読み続け、言葉をあれほど真剣に使ったことはなく、穏やかに、けれど強硬に、自分の意志を主張しました。

私は彼の要求を拒否しつつ、彼の機嫌をとり続けました。時には媚び、時にはへつらい、心にもない世辞を言い、そんな自分の卑屈さが吐き気がするほど嫌でしたが、それでも話し続けました。


話している間に何回か、瞼の裏に、ドブの中に転がっている自分の死体が横切りました。


どんなに懸命に話し合っても、相手が本当にどうしようもない悪人であれば、それこそ連続殺人犯のような心根の人間であれば、結局自分が打ち負かされてしまうことはわかっていました。

それでもおそらく、今目の前にいるひとは、そういう人間ではないはずだ。そう考えろ、そう思え、そう信じろ。

なんとかして、誤魔化せ。


「今は駄目。初めて会ったひととは駄目。でもあなたのことは好き。だから、また会ってちょうだい。連絡先を教えてくれれば、必ずこちらから電話するから」

私はそう嘘をつき、彼はそれを信じました。


私は幸運でした。

彼は最後には諦めたように肩をすくめ、私は解放されたのです。

最後に手のひらに押しつけられた彼の連絡先のメモを、私は数日後に捨て、全てはそれで終わったように思えました。


二年後。

私の大学の後輩が、入学したばかりの女性が、殺されました。

1999年川俣智美さん殺害事件です。

http://www.fujitv.co.jp/supernews/special/toku1208.html


彼女は最後に外国人男性と共にいるのを目撃されており、その外国人男性の似顔絵が作成されて、ニュースで流されました。

私はそれを見て、愕然としました。

似顔絵の男性は、以前私を車に乗せた外国人男性と、よく似ていたからです。


私はそのまま家を飛び出し、車に乗って、以前自分が車で連れて行かれた場所を探しました。

ぼんやりとした記憶を辿りながら、確かこっちのほうだったはずだと思える方向に向かって車を走らせ続け、やがてなんとなく見覚えがあるような気のする場所に通りかかったとき。

私の車は、とめられました。


警察官が不機嫌そうな顔で車をのぞき込み、言いました。

「あなたここで何やってるの? ここはね、この間、大学生が殺された事件があったでしょ。あの死体発見現場の近くだから、封鎖されているんだよね」


背筋が冷たくなるというのは、ああいうことを言うのでしょう。


車に乗り込んだあの日の自分の愚かしさを、私は何度となく呪いました。

戦えなかった自分、戦おうとしなかった自分の不甲斐なさを、幾度となく、罵りました。

日本法律では、女性が懸命に、それこそ命を賭して抵抗しない限り、和姦とみなされることが多いのだということを、私は知っていましたから。

逃げるために嘘をついた自分は薄汚い存在のように思えました。


ですが。

「これは、もしかして……戦わなくてよかった、機嫌をとり続けてよかったということなのか? あの場では嘘をつくことが正解だった? 川俣智美さんはもしかして、戦ったのだろうか?」


答えは誰にもわかりません。

事件は未だに解決されていないのですから。


ただ、世の中にはそういうことがあるのだろうな、ということは私にもなんとなく判ります。

戦うことで命を失った女性は、おそらく大勢いるのです。


私にはあのとき、自分が戦って死んだ方がよかったとは思えない。殴られ、傷つけられればよかったとも思えない。


すべての女性に対してそう思います。それでも生きていてくれと。できるだけ無事に、傷つかずに、生き延びてくれと。


屈することで命を拾えば、恥辱の歴史となるのかもしれない。

それでも生きていて欲しいし、それは実際にはあなたの恥ではないと、私は思うのです。

ノーと言うことは大事だと思います。

けれどそれが相手に伝わらないときはあるのです。そのとき安全な道を選ぶことを、誰が責められましょう。


ノーという言葉の持つ意味が、常に正しく伝わることを、私は望みます。

ですが、現実がそのようにうまくいくとは限らないことを、無数の事例が教えてくれます。


屈したことのある女性たちが、自分を責めずに済むように、私は祈ります。

ふじさわふじさわ2006/06/28 09:07> 「これは、もしかして…戦わなくてよかった、機嫌をとり続けてよかったということなのか? あの場では嘘をつくことが正解だった? 川俣智美さんはもしかして、戦ったのだろうか?」
「戦う」って、相手と腕力で戦うだけじゃ、ないんじゃないかなと思いました……。相手と戦う前に、人は自分と戦うものですよね。「どうすべきか、自分はどうしたいのか?」って。でもそこで、多くの人は諦めがちだと思うんです。「自分には無理だ。下手に逆らったら余計酷い目にあうかもしれない」って。たとえば、痴漢の被害で泣き寝入りをしてしまう女の人は、そういう思考に陥りがちなんじゃないでしょうか。
そういうのって、自分に負けてるんじゃないかなと、ぼくは思うんです。声を出す勇気を持てない気持ちは分かるんですけど、でも、自分が変わらなきゃ、いつまでたっても泣き寝入りで悔やしい思いをすることになります。勇気を持てないというのは、自分で自分を傷付けることだと思うんです。
それでね。元の話に戻って、「戦わなくてよかった、機嫌をとり続けてよかったということなのか?」とおっしゃってるところ。ぼくは逆だと感じました。white_cakeさんは、そのときご自分と戦われたんですよね。勇気をもって、最善の策は何か、自分にとって何が一番嫌なのかをちゃんと考えられたんだと思います。
その勇気は、うらやましいし、いいなと思います。「逃げるために嘘をついた自分は薄汚い存在」って書かれてますけど、とんでもないです。white_cakeさんは、自分に嘘をつかなかったじゃないですか。それは、なかなかできることじゃないです。強いです。薄汚くなんかないですよ。みな弱くて、自分に嘘をついちゃうのに。
white_cakeさんがおっしゃるように、ぼくも女の人たちには、できるだけ傷付かない方法で、生きてほしいと思います。弱くたっていいし、逃げても汚れてもいい。とにかく、できるだけ傷付かずに生き延びてほしい。……でもその一方で、white_cakeさんが難を逃れられたような強さを、彼女たちも持てないかなと思うんです。white_cakeさんは、諦めずにご自身と戦われたからこそ、無事だったんじゃないかなって。
そういう生き方のほうがきっと楽しいですよね。もし可能なら、もっと女の人たちがそういう生き方をできるといいなと思います。

white_cakewhite_cake2006/06/29 02:01>ふじさわさん
たいへん真摯なコメントをいただきました。ありがとうございます。
興味深く読ませて頂きました。
いろいろなことを考えるきっかけにもなったのですが、その考えたことを、どうまとめればいいのか、ちょっと今混乱しています。
うーん、難しいなあ。どう言えばよいかなあ……
えーと、私は確かに、外国人男性とセックスしなければならないとしたら嫌だと思いました。
ですが、それ以上に嫌だったのは「殺されること」と「傷つけられること」です。私にとって、命と安全は、常に貞操に勝ります。
私が彼にとりあえずノーという意志を伝えたのは、命、安全、貞操の三つをもしかしたら拾えるかもしれないと期待したからで、もしもそれがうまくいかないことがわかれば、身体を差し出さなければ命と安全すら危ういのだと思えば、おとなしく相手の言うなりになったと思います。
相手がもっと暴力的で、ノーという答えが男性を逆上させるかもしれない、それによって自分が傷つけられるかもしれないと判断すれば、私はノーと言わなかったかもしれません。だって、怖いですから。
そしてまた、私が彼に対して嘘をつけたのは、彼が見ず知らずの人間で、その後自分の嘘が追求される恐れがなかったからです。
私が助かったのは、私が自分と戦ったからというのが最大の理由ではありません。
私が幸運だったからです。
相手の暴力性がそれほどのものではなかった。
私の演技や嘘が、相手を騙せるだけのものであった。
相手を騙してその結果どう思われたとしても、接点のない人間だから、構わなかかった。
それらの要素を考え合わせた上で私は、「ノーと言って助かる道を探る」という判断を下せたのであって、どれかの要素が食い違っていれば、それこそ私はこびへつらい、相手の機嫌をとり続けながら、身体をさしだしていたかもしれません。
喜んでいる演技をしたかもしれません。そうすることで、安全が手にはいるのであれば。
レイプの難しいところは、そこだと思います。
ノーという答えは、相手の気持ちを傷つける可能性がある。
力で抵抗すれば、押さえつけられて終わるし、かつ「抵抗された」という事実がさらに相手を逆上させ、暴力性をエスカレートさせる危険がある。
命と安全を手に入れるためには、相手を傷つけたり、逆上させることは、ないほうがよいのです。相手の機嫌をとることができれば、それだけ生存確率は高くなるのです。
自分がどれほど嫌な思いをしているとしても、強姦ではなくこれは和姦であると相手に思わせた方が、安全なのです。
デートレイプの場合、相手が知人であるからこそ、よけい相手の気持ちを損ねたくないという気持ちが働きますよね。
知人を怒らせたり、知人に嫌われたりすることは、実生活に大きな害を及ぼしますから。
「なぜきちんと嫌だと言わなかった」
「戦って抵抗しなかった。そうすれば、相手だって本当に嫌がっているのがわかっただろうに」
という考え方をする男性は、とてもまともで素晴らしい方なのだと思います。
相手が本当に嫌がっているのがわかれば性行為を無理強いしない、それが当然だと考えている、そういう男性だからこそそのように思うのでしょう。
ですが、実際の世界には、そのようなものの考え方をしない人間が大勢いて、相手が嫌がっていようがいまいが、自分の要求を満たすことこそが第一であるという基準で生きていたりするんですよね……悲しいことに。
まともな男性が数多くいらっしゃることを知っているからこそ、まともでない人間の存在が悲しいです。
私は、泣き寝入りをすべきだとは思いませんし、レイプされそうになったとき、易々と屈するべきだとも思いません。
まず最初に、ノーという意志を伝えるべきだと思います。
嫌だったのに身体を差し出したという記憶は、自己を深くむしばみ、自分を傷つける結果になるだろうと思うからです。その点では、ふじさわさんと同じ考えです。
泣き寝入りも一緒ですね。どちらも、自分の弱さで自分を傷つけることになると思います。
ですから私は、そういった事態に直面したとき、泣き寝入りせず、せめて「ノー」と言える人間でありたいとは思っています。
思っていますが、必ずそうなれるかどうかは、わかりません。その場にならなければわからない。
勇気を持って戦えば無事で済むわけではないし、なにより大事な命を拾うためには、「戦わない」という選択肢が、非常に現実的である場合も多いと思うのです。
それでも、おそらく屈した人間は、自分を責めることになるでしょう。
一番悪いのは、「ノー」という言葉を聞き入れなかった人間なのに。
私が助かったのは、私が勇敢で自分と戦える人間だったからというのが最大の理由であるとは思いません。
私は幸運だった。それが最大の理由です。
運がもうすこしでも少なければ、結局私は助からなかったはずです。
まとまらないコメントでごめんなさい。
今はこれが精一杯です。後日、記事でまとめる可能性もありますが、今ちょっと時間的余裕がないんだよなー……

ふじさわふじさわ2006/06/29 21:17こちらこそ、丁寧にお返事をありがとうございます。……ちょっと悲しくて、分かりたくないですけど、分かりました。ぼくが戦え戦えって言って、シロイさんが嫌だ嫌だと言うだけじゃ、もっと悲しくなるだけですもんね。まるでこの議論は、ライオンとシマウマの会話のようです。
ライオンがいくらシマウマを好きで、友達になりたくても、「戦え」って言うばかりじゃ嫌われちゃいます。たしかに、「戦え」ってのはライオンの論理。シマウマにはウケが悪そうです。ライオンは考えなおしてきます。
……ただね。ぼくはやっぱり、戦ってほしいというか、最後まであきらめないでほしいです。シロイさんを救ったのは運だったのかもしれないけど、努力の価値がゼロだったわけじゃないですよね。ぼくは、この世界が、努力をしたら報われる世界であってほしいんです。
だからシマウマには、努力してほしい。力いっぱい逃げてほしい。運じゃない。最後まで諦めないで。
あの、ぼく、この件についてあれこれ長く書いちゃいましたけど、本当は「シロイさんは薄汚くない」って言いたかっただけです。シマウマにはシマウマの戦い方があって、それは走って逃げることですよね。それは薄汚くなんかないです。ライオンと対峙する必要なんかないもの。
「ノー」と言う必要すらないし、嘘を付いてもいいです。最悪は体を差し出してもいい。だって、それがシマウマの戦い方ですから。自分を責めてほしくない。それはあなたも言っていることです。たとえ屈したとしても、自分を責めないでほしいと。あなたの恥ではないです。
# 「考えなおしてきます」と書いたところでやめとくべきでした。長いコメントごめんなさい。お返事はいらないですよー。

とおりすがりとおりすがり2010/12/31 19:41警察には情報提供しましたか?

名無し名無し2014/01/28 12:05トニー・シモノーで画像検索してみてください。

あなたと一緒にいた外人がシモノーに似ていませんか?

JasonglymnJasonglymn2017/01/25 04:24печать каталогов киев http://wkrolik.com.ua/products/kalendari