ケーキ屋は閉店後 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-06-22

[]知らない女 知らない女 - ケーキ屋は閉店後 を含むブックマーク

私は自分が何故恋人に見限られたのか知っていたので、彼の決断に反対することは出来なかった。私に出来ることは彼の足元にすがりついて慈悲を請うこと、許しを願うことだけだったのだが、プライド邪魔して、それすら出来なかった。

違う。もういい、正直に言ってしまおう。私は最後には彼の足元にすがりついた。許しを願った。涙を流して謝った。けれどそれは、遅すぎたのだ。

あの決定的な瞬間、「別れなくてはならないかもしれない」と言われたあのとき、私は実際に視界がすうっと狭まり、暗くなるのを感じ、自分の身体が冷たくなっていくのもわかったし、口中に苦い味が広がるように思えたのだけれど、にも関わらず、あるいはだからこそ私は、咄嗟に笑ってしまったのだ。


「やっぱりそうだったんだね」

 私が薄く微笑みながらそう言うと 彼は大きく目を見開いた。

植木鉢の世話はどうする? どっちが引き受けるべきだと思う? 私の引っ越しが済んだら、取りに来ればいいのかな?」

「私は当然このアパートを出て行かなくちゃならないけれど、それまで荷物を置かせて貰うことはできますか?」

「あなたの車を、しばらく使わせてください。今までと同じように。処分する荷物を、そうやって運びたいのです。図々しいお願いでしょうか?」

「……食事を、今日の夕食を、作りかけていたのだけれど、ちょっと今は、料理を続ける気分じゃないみたいで。だから、外で食べてきて欲しいのだけれど、いいですか? 本当に申し訳ないけれど」

ぺらぺらと喋り続けるこの女は、一体誰なのだろう。涙をこぼすこともなく、顔を歪めることもなく、平静な声で、笑みすら浮かべながら喋り続けるこんな女を、私は知らない。


自動操縦、という言葉が思い浮かぶ。

私のカラダは、私の感じていることとは無関係に動くのだ。

ああ、だけどそれはとても有り難いことだね。

私はぼんやりと思う。わからないもの、本当は。自分がどうするべきなのか、考えられないもの。

明日からも続く人生を、今続いているこの時間を、どうやって過ごすべきなのか、想像できないもの。

木偶人形のように、何も考えられず、立ち上がって動くことすらできない私の代わりに、私の知らないこの女が喋ってくれるなら、動いてくれるなら、本当にとても助かる。

そしてそのまま、知らない女は、私の代わりに話を進めた。

呆然とした表情で、かつて恋人だった男は、彼女の話に耳を傾けている。

そうだったのか、という納得の表情がそこに浮かぶ。この女はもう、しばらく前から、おれと離れる日が来ることを想定していたのだ。

おれが切り出すずっと前から、この女はおれを見捨てるつもりだったのだ、たまたまおれが先に賽を投げた、それだけだったのだ。

男の顔が冷ややかになる。声に怒りがこもり、語調が強くなる。

おれを捨てるつもりだった女、別れを切り出されても涼しい顔でいる女、おれのことを本当に好きだったのか、それすらあやしい、嘘つきな女。

「かもしれない」と付け足された言葉は、流れの中で消えてしまう。全ては確定した事項になってしまうのだ。

怒る男と知らない女、私じゃない二人が、私のこれからを決めてしまう。私が一人になるための段取りをつけていく。

嫌だ、と叫びそうになって、けれどこらえる。既に確定した事柄を、覆すだけの力が、私にはない。覆すべきなのかもわからない。

知らない女が微笑みながら話し始めたあの瞬間、男の顔から私への信頼が消えていくのを、私は既に見てしまった。

このひとはきっと、二度と私を信じない。相手に対する不信の念を抱きながら共に生活することは、彼に苦痛をもたらすだろう。それは嫌だ。

私の不在が彼を苦しめるのならば、それは耐えられる。けれど、私の存在が彼の重荷になるのならば、私は消えてしまいたい。


ブラディ、オブラダ、人生は続くよ。

私の人生は続いた、続かされた。私以外の二人が話し合って決めた事柄に、私は忠実に従った。従える限りは。

困るのは、動けないときだ。どうすればいいのか、思い出せなくなるとき。頭の中に詰まっているのは藁くずかなにかで、考えるということがどのようなことなのか、私は既に忘れてしまった。

そんなときは、彼女が出てくる。私の知らない女が。

彼女は快活なときの私と似ている。楽しそうに笑う、嬉しそうにものを食べる、喜んでひとに会いに行く。

はりきって荷造りをすすめ、軽口を叩く。鼻歌をうたうときすらある。

目を細めて笑い、明るい声で挨拶をして、「しょうがないよね、それにすっきりした部分もあるの」などと平然と言う。

私と似ているようで、やはりこの女は違う人間だ。へらへらと軽薄な振る舞い、自分にも生きる権利はあるのだと、楽しむことは出来るのだと、本気で考えているように見える。

もしかすると、私は昔から、このような人間だったのだろうか。軽薄でどうしようもない女。だから恋人に捨てられることになったのだろうか。

さみしい、と言った直後に、さみしくないと笑う、嘘つき女。

私は彼女が憎くてたまらない。お前はどうして笑えるのだ。笑うべきではないし、楽しむべきではないことに、どうして気付かないのだ。

私のふりをするのは止めてくれ。私のカラダを返して欲しい。

ああ、けれど。


最初にカラダを取り返したとき、私は恋人だった男の足元に、すがりついた。そして虫を見られるような目で、見られた。

さみしいし悲しいし、傍にいさせて欲しいという私の懇願は、口にしている自分自身に吐き気を催させるほどの、みじめで卑屈な、いやらしい言葉のつらなりだったので、当然受け入れられることはなかった。

私が出来るのは、そんなことだけなのだ。私の言葉には、振る舞いには、表情には、下水の臭いがしみついている。


彼女がニセモノだなどと、誰が言えるだろう。

軽薄な嘘つき女よりも卑屈な木偶人形のほうが優れているなどと、誰に思えるだろう。

何時間でも黙って座り込み、時折ぼんやりと自分の頬が濡れていることに気付き、ここはどこで、自分が誰なのか、はっきりと思い出せずにいる今の私の方が、よほどニセモノらしいではないか。

少なくとも彼女は、私の知らないあの女は、生きることはできるのだ。


昔の自分は、かつての私は、もう少しマシな人間だったと感じるのは、気のせいなのか?

あの頃の私は、どこに行ったのだろう。今より多少は強かったはずの自分は。

……それともそんな自分は、最初からどこにもいなかったのだろうか。私は以前からずっと、卑屈で軽薄でみじめで嘘つきな女だったのだろうか。

さみしいと人前で口に出来る、さもしい人間だったのだろうか。

他人の前でうっかり涙を流してしまうような、自制のきかない愚者だったのだろうか。


知らない知らない、知りたくない。

私は自分が見たくない。

私はずっと、自分のことを知らなかったのだ、きっとそうだ。

自分のいやらしさから目をそむけて、気付かないふりをしていたのだ。だから捨てられることになったのだ。本当はそのことに、私はもう、気付いていたよ。


鏡を見るのが苦痛だ。

そこに映っているのは知らない女、そして知る価値を見いだすことのできない女。

知り合いたくないのに、それでも私が付き合わなくてはならない女だ。

ブラディ、オブラダ、人生は続くよ。

そうなのだ、人生は続いてしまう。

私はこの女と、生涯を共に過ごさねばならない。この知らない女、知りたくもない、女と。

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